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のりお/サークル[たんぽぽワンピース]:合同サークル[生ハムまたぎくらぶ]

【ネタバレあり】続・劇場版 Wake Up, Girls! 青春の影(前篇) を見てきた感想

Wake Up, Girls! 青春の影(前篇)を見てきました。
一言で言うと、わぐちゃん、最高だ…でした。

元々WUGは、序盤の健康ランドの水着営業で女の子たちが大人の思惑に振り回されている姿が耐えられず、見るのをやめてしまっていたアニメでした。
ふとした折に全部見てみようと思い、見てみたのですがわぐちゃんたちが逆境の中ひたむきに頑張る姿、自分たちを導いてくれる早坂という存在の登場、そこからの飛躍…アイドルアニメとしてだけではなくまるでアイドルのサクセスストーリーを撮ったドキュメンタリーをみているかのような作品作りに心惹かれ、見終わる頃には俺がトップオブワグナー大田だという気持ちにまでなりました。(もちろんあそこまでの器にはとうていなれませんが)
続劇場版わぐはその気持ちを裏切ることなく、より満たしてくれるものだったと思います。

大手のレコード会社、b-vexの預かりとなったわぐちゃんたち。メジャーデビュー、東京進出です。
早坂からもらった曲がある、今度は大手のレコード会社のバックもある。これからさらなる飛躍を迎えることしか想像できません。
しかし、条件は全て揃っているはずなのに、セカンドシングルは全然売れない。
早坂も曲を作ってくれず、レコーディングも少し顔を出して、前のように指導もしてくれない。
わぐちゃんたちは相変わらず頑張っていて、慢心している様子は見られませんでした。
私は見ている時、わぐちゃんたちに悪いところは全く感じられなくて、わぐちゃんたちから失われたものが何なのかわかりませんでした。
早坂のいうわぐちゃんという男爵芋に混ざってしまったカレーとはなんなのか、大田さんの感じたわぐちゃんに対する違和感はなんなのか。
最後、誰もいないミニステージでわぐちゃんたちがタチアガレを歌うところで、はっきりわかりますが、東京進出のつまずきの原因は、わぐちゃんらしさが失われたということにあるのだと思いました。
まず、レコード会社はわぐちゃん自身を見ていませんでした。欲しかったのは、本編でも言われていたように、早坂が作った曲です。
今後も早坂が作ってくれるだろうという打算もきっとあったと思います。
事実、7 Girls Warは目標値を達成し、売れました。
作中でどういったプロモーションをしていたのかはわかりませんが、あの"早坂相がプロデュースした曲"のアイドルとしてプロモーションもしていたかもしれません。
わぐちゃんは所詮、早坂の曲を売るための道具にされていただけでした。
わぐちゃんの本当の魅力がb-vexのプロデューサーにはわかってまいませんでした。結果、わぐちゃんらしさが失われたセカンドシングルを提供し、目標値を大きく下回る結果を生み出してしまったのです。
次に、わぐちゃんたちがわぐちゃんらしさというものに対して無自覚だったことです。
わぐちゃんたちはひたすら前に向かって走ってきました。そこで飛び込んできたメジャーデビュー、ついていくことに必死です。
自分たちらしさがわからないまま、自分たちらしさをわかっていない・わかっていないならわかっていないで違う明確な方向にプロデュースしてくれるわけでもないプロデューサーの下についてしまいました。
私たち頑張ってるのに、b-vexのライブのあとにそう言いました。
ですが、アニメ本編で早坂は言っていました。
頑張るのは当たり前なんだと。
同じ土壌で戦う人たちはみんな、頑張っていない人なんかいないはずです。
頑張ることが当たり前の世界なんだと思います。
なぜ、自分たちがお客さんに求められたのか。それを考え、行動しなければならないのです。
表面上だけ、アイドルらしい他のアイドルたちの真似をしても芸は磨かれるかもしれませんが、それはわぐちゃんらしさではありません。
わぐちゃんたちは、b-vexのレッスンに、アイドルだけではなく女優やモデルの女の子たちがいるのを見たはずです。
可愛くて、歌が上手くて、踊れるだけなら、別にその女優やモデルの女の子たちがアイドルやったっていいんです。
それでも、ファンがわぐちゃんになぜ魅了されてなぜ応援してくれているのか、それを考えなければならないんです。
わぐちゃんらしさとはなんでしょうか、早坂がそこに輝きを見出して、プロデュースしたいと思った理由、大田さんたちワグナーがわぐちゃんたちを応援してくれる理由とはなんでしょうか。

それは、後編のキービジュアルにも使われているフレーズ

真摯であること
素直であること
一生懸命であること

だと思います。
わぐちゃんたちはお芋ちゃんなんです。泥にまみれてそれでも這い上がってくる、そういう存在です。
小手先のプロモーションや、他のアイドルを真似した技術にはわぐちゃんらしさはありません。
ただ、自分たちのやれることに一生懸命で、真摯であること。
そのひたむきな姿には、まさにいっときしか存在しない青春を体現しているように思うのです。
わぐちゃんは、未成熟な青春の輝きが魅力のアイドルなんです。
もちろんアイドルとして、技術を磨くことは大切です、向上心があるのも大切なことです。それにどこまで真摯に向き合って頑張れるのか、それによってどう成長していくのか、それをファンは見たいんです。
わぐちゃんが完成された時、どのようになるのかはまだわかりません。
I-1clubのようになるのかもしれません。
それでもわぐちゃんたちの未来に何があるのかを、ファンは見たいのです。

一回成功したはずなのに、どん底に突き落とされ、売れなくなってからわかるというのも皮肉なものですが、それでもあの誰もいないミニステージで、もう一回頑張ろうと決意するわぐちゃんたちをみて、私の好きなわぐちゃんってこれなんだなぁと強く思いました。
という私がそう思ったというだけの感想です。

あとはダラダラまとめきれなかったことを羅列します。
早坂はむすび丸の人形まだ大事にしてるし、なんだかんだレコーディング来てくれたし、わぐちゃんたちの出てる番組見てその無理矢理な姿に腹立ててるし、わぐちゃんのこと大好きですよね。
でも、早坂としても曲をあげたくても、また早坂の作った曲を歌うアイドルとして売れたら、真夢の時のI-1clubの島田真夢を売るためのアイドルグループ、のようになってしまうことを危惧していたのではないかとおもうんですよね。
それは早坂としても不本意なはずかのでわぐちゃんたちにはわぐちゃんとして売れて欲しかったんじゃないかなーと思うんですよね。
手が出したいけど手が出せないという愛情の裏返し…いつもの早坂さんやで
なんだかんだ作った曲持って茂みから現れるし(あれ前々から用意してたよね??)
そもそもわぐちゃんの行動範囲把握してるやないかという
早坂のおうちが夜景の見える高層マンションで典型的な金持ちイメージすぎて笑ったり、草間彌生っぽいオブジェ置いてあって早坂が好きだと思うとかわいいなと思ったり、早坂が好きになる映画。前から好きですが。わぐちゃんはみんな頑張っててみんなえらいからわぐちゃん箱推しで早坂というプロデューサー推しです。2DK(http://www.moae.jp/comic/2dk)のどこかの回でも、アイドル応援し続けてると最終的にプロデューサー推しになるとか言ってた気がしますし…
あと早坂って作中の扱い的に、ミリオン飛ばせる売れっ子音楽プロデューサーでb-vexのプロデューサーごときでは頭が上がらない存在のようなのにわぐちゃんたちの中では最初にであったうさんくらいおっさんのイメージもまだあるようでわぐちゃんたち(一部ですけど)が強気な態度で接しているのとても好きです。

I-1 clubもライバルポジションでありながら、トップに立ち続けるということの熾烈さ、背負う責任ですとかを感じさせてもらえて、何を考えているのかわからなくて冷酷に見えていた白木社長も信念を持ってアイドルをプロデュースしていることがわかりましたし、そこもよかったです。だからこそわりと早坂とウマが合うんでしょう…
丹下社長も背負っているものが明らかになってきてしんみり…

早坂がわぐちゃんをプロデュースした原因は、もう一段階掘り下げがありそうで、後編が待ちきれないです。
本当に前編、わぐらしいいい映画でした。最後のエンドロールの、少女交響曲のフルライブが早く見たい!

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神になった夢の話

私は都会から田舎に引っ越してきた。
田舎は村社会でよそ者に冷たく、溶け込めず疎外感ばかりを覚えていた。
友達もできるはずがないので、私は森で遊んだ。
すると、よくわからない何かと出会い、遊ぶようになった。
そのよくわからない何かは沼にいて、私は沼で泳いで遊んだ。
森の奥にあるその沼は深く、汚れているわけではないが黒い。水はサラサラしておらず、体に重くまとわりついてくるようだった。
それでも、孤独だった子供の自分には、その何かと過ごす時間は大切で、かけがえのないものだった。


そうするようになってから、月日がどれくらい経ったかはわからない。
沼から上がり、濡れすぼったまま農道を歩いていると、近所に住む奥さんとであった。奥さんは犬を連れていた。
奥さんに挨拶をすると、きょとんとした顔をされた。
誰だったかしら、知らない子だわ
どうやら、よそ者だから冷たくしているというわけではなく、本当に私が誰なのかわからないらしい。
流石に、人に顔を覚えられる程度には、村で過ごしていた。
そこから、どんどん違和感が生まれ始めた。
私が沼で遊べば遊ぶほど、私という存在が人の記憶から消えていく。
私はようやく気付いた。この沼の何かが、よくない存在であることに。
どうやら、村で伝わる祟り神のようなもののようだった。
沼の何かは、次に自分と同じ存在になるものを探していたのだ。
そして役目を終えたら、消え果てるのだろう。
そのことに気付いた時には、もう遅く、私は人の記憶から忘れ去られて、祟り神になった。

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キルミーベイベーの世界がループしているという仮定

キルミーベイベーの世界は時間の感覚が乏しい。
ある日、次の日などの表現は存在するが、明確な何年何月何日という概念は存在しない。
また、季節が移り変わっているのが制服の転換で察することができるのだが、やすなたちが歳をとっている様子は見られない。
これは、やすなたちは永遠の時間を繰り返しているという示唆なのではないだろうか?
ここで、やすなたちが永遠の終わらない日々を過ごしている論拠をもう一つ提示したい。
アニメ放送終了後に発売されたベストアルバム「キルミーベイベースーパー」…
収録曲は以下の通りだ。(一部抜粋)

キルミーのベイベー!のさらにウザいやつ
キルミーのベイベー!のウザくないやつ
キルミーのベイベー!2062
ふたりのきもちのほんとのひみつ (骨折篇)
ふたりのきもちのほんとのひみつ (without MEGANE Mix)
ふたりのきもちのほんとのひみつ (iMS-20 for iPad Mix)
キルミーのベイベー! (LIVE)

以上の通りとなる。
この一連の曲は、元々シングルがバージョン違いで3つ発売されておりさらにそれぞれにアレンジバージョンが収録され、それをまとめたものとなっている。
原本からそれぞれ違う曲が作られている。
これはループしているキルミーベイベーの世界を、意図的に示唆しているといえるのではないだろうか。
ループものでよくあることだが、ループしているとはいえ、少しの行動の変化が違ったループを生むということがよくある。
このアレンジの違う一連の曲は、ループしているが少しづつ変わっていくループ時空を示唆していると捉えることができるだろう。
終わらない世界で、やすなとソーニャは必死に終わりの時を探しているのかもしれない。
二人がこの世界を終わらせ、新しい一歩を踏み出す時がいつか来るのだろうか。
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絶対的ロリコンではなく相対的ロリコンである

自分自身でロリコンと名乗るのはおこがましいので、あまり名乗りたくはないのだが、どうやら大義的にはロリコンにくくられるらしい。
しかし、ここで主張したい。
私は幼い頃から、漫画やアニメに登場するキャラクターの中でもより小さい子を好んできた。
それに気づいたのは、最近のことであったが…小さい子が小さい子を好きなのは普通のことだ。
幼稚園児がプリキュアを好きでも、ロリコンとは呼ばないだろう。
しかし、年齢が上がるにつれ、彼女たちとの歳の差が開いていくのに、趣味は変わらない。
趣味がかわっていないというだけなのに、ロリコンという人種に今ではなってしまった。
絶対的にロリコンなわけではない。
世間と自分の中の時の流れによって、彼女たちとの歳の差が開き、相対的にロリコンになってしまっただけということなのだ。
決してあやしいものではございません。
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初音ミクを抱けなかった夢の話

夢の中の初音ミクは、由緒正しい家に生まれ、決められた許嫁がいた。
しかし、初音ミクは許されぬ恋をしていた。
決められた許嫁はよっぽどひどいやつなのか、初音ミクはその結婚を嫌だという。
そこで私(夢の中の私は大層イケメンのようだった)に、初音ミク自身を抱いて欲しいというのだ。
既成事実さえあれば、両親もこの結婚を考え直すのではないか、そう訴えてくる。
半ば彼女も自暴自棄に陥っていたのだろう、その姿は痛ましい。
夢なので、辻褄が合わない部分があるが、私はおそらく手近で一番都合がいい人間だったのだろう。
普段の私なら、二つ返事もなく喜んで!!と抱いていたかもしれない。
しかし、夢の中の私は、性格までイケメンだったようで、こう言うのだ。

自分の体は大事にしなさい、君を抱くことはできない。本当に好きなひとがいるならなおさらだ。

そして私は初音ミクを抱かなかった。

(大変申し訳ないのですが初音ミクさん詳しくないんですよね…)
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ムックの夢の話

幼い頃から繰り返し見る夢がある。
それはモノクロの夢だ。
古びたステレオタイプのラーメン屋の、戸を開けると、カウンターに座ったムックがラーメンを食べている。
いつもそこで起きる。
この夢を今までに3回は見ている。
起きた時、少し怖いような感覚がする。
3年前くらいに、3回目のムック夢を見た。
友人にその夢の図解をしながら、これまでにこの夢を3回は見たのだと話すと、その友人はふとこういった。
それ、ムックじゃないよ。

正しいムック
f:id:nronro:20150806021142p:image


正しくないムック
f:id:nronro:20150806021357p:image

次この夢を見るのが怖い

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理論上やすなを嫌いになれる人間がいない話

キルミーベイベーのやすなを嫌いになれる人はいない。
言い換えると、キルミーベイベーのやすなが嫌いな人間はいない。
キルミーベイベーに登場する、名前のある人物は三名だ。
これは連載漫画作品でも、かなり少ない登場人物といえるだろう。
このうち1人が嫌いだとすると、作品のうち三分の一が嫌いだということになる。
例えば、通常の連載漫画に20人程度名前のある人物が登場するとしよう。
そのうち1人が嫌い、2人が好き、17人が普通だとする。
少なくとも、登場人物において嫌いな部分は二十分の一だ。
キルミーベイベーと比べて、かなり嫌いな部分が少ないといえるだろう。
二十分の一が嫌いな漫画は、好きな登場人物がいるならば、読み続けることができるだろう。
しかし、三分の一が嫌いな漫画を読み続けることは、前者に対して比較的困難だといえる。
キルミーベイベーで、やすなを嫌いだと思ったら、作品の三分の一が嫌いということになり、次第に読まなくなっていく。
読まなくなったものの中で記憶は薄れ、次第にキルミーベイベーという存在がその人の中で消えていく。
キルミーベイベーのやすなが嫌いだという感情も消える。
結果、キルミーベイベーのやすなを嫌いな人はいなくなるのだ。
理論上、キルミーベイベーのやすなが嫌いな人はいない。
私は大好きです。
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